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【3】神木としての「1」

天然記念物指定の桜は、一本の古木の大木である。山の裾野、峠、田畑のはずれた場所などに見られる。北杜市武川町の神代桜(国指定天然記念物)、同じく小淵沢町の神田桜(県指定の天然記念物)、韮崎市の鰐塚の桜(市指定天然記念物)などがある。


古くは、桜は山に咲く花であった。春に一斉に咲き出す姿は神の降臨を示し、一年の始まりを告げるものであった。古代、春の祭りの歌垣は、豊穣を祈る農耕儀礼で韮崎市わに塚の桜あった。『常陸国風土記』(筑波郡)には、「坂より東の諸国の男女、春の花の開くる時、秋の葉の黄づる節、相携ひつらなり、飲食をもちきて、騎にも歩にも登り、楽しみ遊ぶ」と、歌垣の様子の記述がある。桜の木の下で宴会をしながら花見をする行事は、その名残を今に伝えている。笠のように満開の桜の花に覆われた桜の下は、花の呪力によって豊穣と疫病退散の加護を受ける所である。やすらい花の祭りは花笠の下に入る祭りで、花の呪力によって疫病を封じ込めるのである。


桜の大木は、屋敷に見ることはできない。忌み嫌われたのである。寺の境内に植えられても、神社には植えられることはなかった。靖国神社の桜が植えられたのは明治時代以降である。この時期に学校などの公共的広場に植えられたのが、現在は桜の名勝になっている。

花の咲き具合によって、豊穣を占うための神木であるためである。一本の桜の木は神の降臨の神聖な神木であり、占いの木である。占いという「あの世」の文化を象徴する木である。

これが忌み嫌われる理由である。「あの世」的意味の桜を、「この世」の文化の領域である屋敷に縁起が悪いとされ、桜は植えられなかった。


「桜」の語源について諸説があり、有力な説として二つの説がある。「サ・クラ」説として、サは穀霊、クラは「座」、穀霊(田の神)の依り付く神の座を表す。田植はサの神の祭りの神事である。サツキ(五月)、サナエ(早苗)、サオトメ(早乙女)の「サ」と語源を同じくする。


「サク・ラ」説のサクは咲くの意味、「ラ」は複数の意味の接尾語である。この説は江戸中期編纂『和訓栞』、本居宣長『古事記伝』に見える。木花之咲夜姫の「さく」である。枝の先に神が寄り付き、その霊力が最高に発動している状態を咲くという。このことから、「咲く」は、先・前・崎の先端の意味の「サキ」、霊力が発揮される意味から、栄える・幸い・盛りの「サ」の意味に通じる。

 


能舞台に描かれている松は一本で、影向の松である。影向とは神仏が姿を現す依代となる。

一本の松は、死者の霊魂を鎮めるために舞うあの世的な空間を象徴する。一輪の花を仏前に捧げることも、豪壮な寺院を建立することにも匹敵する功徳を積む仏事であるというのもそのためでる。


利久と秀吉との朝顔の逸話で、一輪を残し咲きそろった朝顔を全て切り落とし、その一輪を茶室に活けた。秀吉の求めた美は、全国各地で季節の花が観光地化されて賑わいを見せる。目が奪われるような、この世の豪華さを競う<多>ではなく、利久は心で凝視するあの世の幽玄の美の<1>を愛でたのである。


イザナギノ命が「一つ火」をもって黄泉の国の訪問、遊行寺(藤沢市)の「一つ火」の行事は、あの世にかかわる神木の「1」と同じ意味である。


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