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【1】こだわりの八ヶ岳
八ヶ岳南麓という地域。 私にとって60年余り聞き慣れた親しみのある言葉である。 この「八ヶ岳南麓」という語感の響きが気持ちいい。 そこに住む私のアイデンティの立ち位置があり、どことなく安心感を持つことができるからである。それは、八ヶ岳南麓という限られた地域と八ヶ岳の山々との一体となった自然の姿が与えてくれたものであり、八ヶ岳南麓から仰ぎ見る山々に秘められている神秘的な信仰の世界によって培われたものであろう。 その山々には、赤岳は含まれない。八ヶ岳南麓は、赤岳が見えない地域だからである。つまり、赤岳を除く権現岳を中心とする峰々が本来の八ヶ岳の姿である。権現岳より南に流れ下り裾野が広がる南麓から見る「赤岳の見えない八ヶ岳」こそ、ふるさとの山である。遠い昔、南麓に定住した人々が描いていた八ヶ岳の最初の原風景である。ここには、赤岳を主峰とする現在の八ヶ岳の姿はない。 権現岳の頂上は、這(はい)松(まつ)がせり上がり、二つに裂かれた巨石がある。この巨石が八ヶ岳の御神体である。こうした山頂の景観のある権現岳こそ八ヶ岳の中心であり、八ヶ岳の神々が降臨するに相応
2024年7月17日読了時間: 2分


【2】こだわりの八ヶ岳の神々
八ヶ岳の中心は権現岳であり、二つに裂かれた巨石が御神体であることを前回述べた。 権現岳に八ヶ岳の祭神は、磐(いわ)長(なが)姫(ひめの)命(みこと)と八(やくさの)雷神(いかづちのかみ)である。『古事記』『日本書記』に神話に見られる神々である。なぜこの二つの神が祀られたのか。それは、二つに裂かれた巨石の姿こそ二つの神を象徴するものであった。神々の起こりは、八ヶ岳南麓の最初に定住した古代人の巨石の出会いから始まる。人々はどのような気持ちで巨石を感じたのか。その姿の神秘性と驚きから神の存在を感じ、二つに裂かれた巨石は神のなせる技であると信じられた。どのようにしてこの頂上に出現したのか。巨石の姿の由来を尋ねようと考えた。 古代人の謎解きである。権現岳山頂の巨石は、大地の中から生まれ出て来た。母なる大地から生命を生み出す力を宿す神の姿を想像した。狩猟・採集の豊穣・多産をもたらす山の神として巨石に対する信仰が生まれた。この磐石堅固な巨石のように永遠の生命を司る磐(いわ)長(なが)姫(ひめの)命(みこと)の神にたとえられ、権現岳の祭神の一つとなった。二つに裂
2023年7月16日読了時間: 2分
【3】こだわりの雷(蛇)信仰
前回において、火の神によってイザナミ命の〈陰=ほと〉を焼かれて亡くなり、夫のイザナギ命が黄泉の国を訪れた時に見た妻イザナミ命の体に取り付いた八つの雷の姿が八雷神(やくさのいかづちのかみ)であることを述べた。この八雷神が八ヶ岳の祭神の一つに加えられた理由は、天空から落ちてきた弓矢によって二つに裂かれたと想像されるV字形の巨石の姿が、大地の母なる神の〈陰=ほと〉に弓矢が当たったイメージと重なるためである。 落ちてくる弓矢は、落雷のイメージにつながって行く。雷は雨を降らせ、稲光を発します。ギザギザに蛇行する姿は、蛇を連想する。八雷神は死者を守る神である同時に蛇神ともされる。 八雷神は蛇神として、雨乞いの神(水神信仰)として信仰されて行く。三ッ頭の山名は、三頭の牛や馬の頭を雨乞いのために権現岳に供えた形に由来する。牛首の奉納は、牛を殺して漢神(からかみ=渡来の神)に供える雨乞いの儀礼である。清里から赤岳へ登る真鏡寺尾根の牛首山も雨乞いに由来する山名である。 猟師が白蛇を助けると、そのお礼で湧水が湧き出るという伝承が南麓一帯にある。小渕沢町の大滝神社湧水・
2023年7月15日読了時間: 2分
【4】こだわりの小淵沢の歴史
小淵沢村の誕生 小淵沢町に最初に鍬おろした人々は、二つの地域を形成していた。この二つの地域は、矢の堂―大宮神社の縦状の尾根(尾根地区の地名の由来)である分水嶺の地形によって東西に分けられている。ひとつは、井詰(いづめ)湧水(すずらん池の北側)から自然流下した甲信アルミ南一帯の流域を開発した地域で、もうひとつは、根山湧水(花パークの北側)から自然流下した川は小淵沢小学校西側に流れ、その流域一帯を開発した地域である。 ところが、「正中元年(1324)水源地ヨリ水田灌溝口堀リ 元野之高嶺中央ヲ割り水路ヲ通ス(中略)赤松家蔵ム書中ニ見エタリ」とあり、この井詰用水の横堰の開削が行われ、旧小淵沢全域に水田用水が行き渡った。この横堰を通称、「五百石堰」とも言われる。 自然流化の自然集落から横堰の水路によって結ばれた村作りが始められた。尾根区内に「じょうしょう村」「ごんだい村」の地名が慶長検地帳に見えて、少なくとも室町時代には散在していた村があり、鎌倉時代においても湧水の自然流下する水域に、こうした小集落の村が多く散在していたと思われる。東西に二分されていた地域
2023年7月14日読了時間: 3分
【5】こだわりの北野天神社の歴史
小井詰氏の伝承 前回、小井詰氏は、北野天神社の神主であると同時に、小淵沢村の開発領主的な存在として井詰湧水の水利権を通じて地域に政治的影響力を行使してきたことを述べてきた。今回、小井詰氏の伝承を通じて、その姿を考えてみたい。 その伝承のすべてに共通しているのは、漂泊・逃亡して、この地に隠棲するという伝承である。 伝承一 平忠常を平定した源頼信が甲斐国に退在し、永承年中(一〇四六~一〇五三)この地に隠住、安元二年(一一七六)泉原に移り、姓を小井詰と称したという。 伝承二 泉親衡(いずみちかひら)は、建暦三年(一二一三年)鎌倉幕府御家人で信濃源氏の泉小次郎親衡が源頼家の遺児千寿丸を鎌倉殿に擁立し執権北条義時を打倒しようとしたが失敗し、逃亡行方不明となる。親衡は北野神社に隠棲、神主の跡目を継ぐという伝承がある。 伝承三 小笠原分流十三世・吉基は、入贅(にゅうせい)(入婿)し神主になる。初祖小笠原長清より十三世に該当する者に松尾小笠原(伊那)の小笠原宗基が存在する。宗基は戦に敗れ、永正三年(一五〇六)、行方不明となる。宗基と吉基は、「宗」と「吉」の一字が
2023年7月13日読了時間: 3分
【6】こだわりの「小淵沢」の地名について(一)
小淵沢の地名は、「小淵池」に由来する伝承がある。 小淵池は、小淵沢町総合グランド駐車場北の杉木立の場所にある。直径5~6メートル程の小さな池で、流れ出る川はなく、一年中水量は一定している。 小淵池は、実用性より宗教性の重視した場所といえる。そのために雨乞い祈願が行われたり、椀貸伝承(注1)がある。また、諏訪湖の水が増減すると小淵池も同じように変化するという、諏訪湖と小淵池が地下水でつながっている通底伝承もある。東大寺のお水取りの水は若狭国から地底を通じているというように、全国的に見られるこの伝承は不老長寿の常世の国に通じる信仰が背景にある。地底から湧き出る水は常世の国からもたらされる不老長寿の若水と思われ、また椀貸伝承のようにこの世に様々な福をもたらされるという。 このように池(井)は神秘的な場所とされ、水の祭祀をする神聖な場所であった。789年、甲斐国の渡来者は玉井・大井・中井などに改姓している。「井」の字を使ったのは、「井」の持つ聖なる水の呪力を姓名に注ぐためとみられる。韮崎市藤井町にある「駒井」の地名も渡来系に由来するとされ、また「藤井」の
2023年7月12日読了時間: 3分


【7】こだわりの「小淵沢」の地名について(二)
小渕沢の地名の由来を小淵沢町の南端である富士見町の県堺・国界橋付近から長坂町境までに「加倉」「河倉」「鹿倉」の地名から考えてみる。 その名称は違うが、その呼称は「カクラ」と言われ、意味は「狩倉(かりくら)」のことである。同一の地名が約五㎞程続くという長い地名である。「カクラ...
2023年7月11日読了時間: 2分
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