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【5】昼・夜を数える「1」

更新日:2023年11月10日

昼と夜を独立した一つとして数える。

『古事記』」の神代巻に天若日子の死を「日八日夜八夜」弔うとある。『日本書記』、酒折宮の問答歌において、「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる 日々並べて 夜には九夜 日には十日を」の問答歌がある。古代において、昼・夜を別々に数えていたことが分かる。さらに、アイヌ叙事詩ユーカラの中には、「日三日 夜三夜 併せて 六日」という記載が見られる。(アイヌ叙事詩ユーカラ集 P116、117)。

民話の中において、鬼は朝一番の鶏の鳴き声で、残り一段の仕事を残しても仕事を止め退出しなければならない。その瞬間において時間は止まり切断される。鬼は昼の時間に移行することは出来ない。夜と昼は異質な存在で、その間には越え難い断絶がある。昼と夜とが円滑に交替する意識はない。夜は神の時間、昼は人間の時間である。昼・夜の境界は厳然と区分される。

平安時代『三代実録』において、元慶元年四月の条に、「一日一夜。合為一日」とあり、昼・夜合わせて一日とする。「このような異質な両世界の交替を時計の振り子のごとく振動的な振幅としてとらえる、そういう時間意識をもった古代人が少なくとも私たちのように昼夜を合わせて一日とする概念を持つようになるには、かなりの期間を必要としたのであった。」とある。(『時間の思想 古代人の生活感情』永藤 靖著 P61)。

夜と昼は連続して交わることがなく、独立した一個のものとして認識されていた。一日に集約する価値観はなく、繰り返しのない一回起性な時間であった。

一日という抽象化された一日が確立するには、相異なる夜・昼を統一した一日の時間の認識が必要である。こうした相反するものが同一である認識は、天体の自然現象の周期性を基盤にして生まれた中国から伝来した暦法という文化の影響である。

R・E・リーチの「時間の象徴的表現に関する二つのエッセイ」という論文に、「いくつかの未開社会においては、時間の経過は決してはっきりとした区切られた期間の継続として経験されない」と述べ、「時間は持続しない何か、繰り返す転倒の反復、対極間を振動することの連続として経験される。すなわち夜と昼、冬と夏、乾燥と洪水、老齢と若さ、生と死という具合である。」という。二元的な対立的世界の交替を図式化している。

この二元的な対立的世界の交替は、時計の振り子の振動として把握される。その例示の中に、「夜と昼」、「冬と夏」が例示ある。その構造の類似性が、「夜と昼」、「冬と夏」の交代劇に見られる。

春から秋に、また逆に秋から春に、東西軸に沿って直線的に動いてゆく時間意識である。春と秋を折り返すたびに、振り子時計のように瞬時に、夏・冬が交替する。去年(夏)・今年(冬)・来年(夏)の季節が直線上に繰り返して並ぶ。

酒折宮問答歌に「日々並べて」とあるように、時間が直線上に並んで進行する。時計のように回転するのではなく、映画のフィルムのように一駒ずつ断絶・連続して動いて行く時間意識である。

夏・冬を独立した季節と捉え、夏と冬の季節を合わせて二年と考える。一年を夏・冬に二分するのは、一日を昼・夜に二分する構図に通じる。 

現在は、日本文化の特質が、一年は季節の周期的循環性にあるとする考えが基調であるため、過去の一日・一年を二分割される季節観を理解するのは難しいのである。それは、中国から暦が伝来した春夏秋冬を巡る季節観が日本の伝統文化として定着したからである。




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