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【9】完成としての「1」

更新日:4月3日

署名のない作品が見られることがある。署名は作品を棄損する。完成された作品である自負から、作者が誰であるかが分かるはずであると、署名を不要とした。破壊されない完全な意味での「1」である。作品の棄損を最小限にして、芸術性を確保するために「隠し落款」をする。

 悟りの世界を象徴する満月は、完成した「1」の意味である。

竜安寺(京都)の十五箇の石を配置した石庭である。この意味について多様な説がある。十五の数は満月の悟りを象徴すると考える。縁側で見る位置で十四個の石が見える。一つが欠ける。縁側から十五の石が見える場所が一カ所ある。竜安寺の石庭は特定の場所から見るのではなく、縁側を歩きながら動的視点で見るものである。十五の世界と十四の世界を見ることになる。欠損の「1」を隠しながら、同時に隠された完成の「1」の存在を暗示する。十四+一=十五である。悟りの世界のあり方の禅の公案を示す。静止して黙思するのではなく、動的に沈思する坐禅の場である。

一味同心・茶禅一味は、一つの茶碗で同じ味の茶を飲み交わし、その茶会の参加者は同じ心を共有し、平等性を表現する。一党・一揆は、同じ意志を持つ参加者が団結する一体性を表す。構成員の意志の合意は目的達成の宗教的行為であり、集約された全体意思は神の意志と見做される。その「一」は、欠損部分を含まない完結した「1」を示している。

茶道の一期一会の所作、歌舞伎や能の舞台の動作は一回限り、常に完成された芸を演じる一回性である。二度の繰り返しのない完結性が求められる。

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