一膳飯は嫌われ、おかわりを勧めることは、挨拶の「1」のところで記述した。この「1」は、「おひとつどうぞ」の来訪神として客人に対する接待のもてなしのことである。
初めて来店した客を断ることを、「一見さんお断り」という。一回目の客人は信用が無いからという理由で、常連客の紹介者が必要であると説明されることが多い。財布は帳場に預けるため支払いは確保されるので安全で、必ずしも同伴者は必要ではない。一回目の客は、店側は来訪神のため接待する立場であり、支払いされない時は受忍せざるを得ないことになる。縁起を担ぐ店側の方便として、「一見さんお断り」という口碑が生まれたのであろう。
年賀状には令和5年1月1日とは書かず、令和5年元旦と書くのが通例である。なぜ回避されるのか。1月1日は正月の神をお籠りする。1日は神の支配領域の時間帯である。神の怒りを受けない慎みのある生活をしなければならない。掃除や料理をしない。そのためのお節料理である。外出はできなかったので、一日の初詣の行事はなかった。
神は一年の始まりの一日だけ、人の一年の始まりは二日から日常生活が始まる。初売りは二日からであるのもその理由である。二日以降の最初の行事には、初笑い・初釜・書初め・初仕事など「初」の字をつける。「1」の持つ呪術的意味の神的世界は、人間世界に踏み込んではいけない。そのために「1」の字を回避するために、別の漢字に置き換えるのが通例である。
初日、初詣、初売、最初、当歳、長男・長女、本膳、本丸、序幕、大立者など、「1」の字を使うべきところ、「1」を回避した言葉が日常使われている。先に述べたように、年賀状の日付を「1月1日」と書かずに、「元旦」と書くのも同じ意味からであることが分かる。長男で「一平」の名前とするところを、「逸平」と命名するのも、「1」を避けることからであろう。
正月の松飾りの一夜飾りは忌み嫌われる。
一声・一口呼びは禁忌である。妖怪は人に一声または一口で呼びかける。人が呼び掛ける時は必ず二声続けて呼ぶ。
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