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【6】忌避される「1」

一膳飯は嫌われ、おかわりを勧めることは、挨拶の「1」のところで記述した。この「1」は、「おひとつどうぞ」の来訪神として客人に対する接待のもてなしのことである。

初めて来店した客を断ることを、「一見さんお断り」という。一回目の客人は信用が無いからという理由で、常連客の紹介者が必要であると説明されることが多い。財布は帳場に預けるため支払いは確保されるので安全で、必ずしも同伴者は必要ではない。一回目の客は、店側は来訪神のため接待する立場であり、支払いされない時は受忍せざるを得ないことになる。縁起を担ぐ店側の方便として、「一見さんお断り」という口碑が生まれたのであろう。

年賀状には令和5年1月1日とは書かず、令和5年元旦と書くのが通例である。なぜ回避されるのか。1月1日は正月の神をお籠りする。1日は神の支配領域の時間帯である。神の怒りを受けない慎みのある生活をしなければならない。掃除や料理をしない。そのためのお節料理である。外出はできなかったので、一日の初詣の行事はなかった。

神は一年の始まりの一日だけ、人の一年の始まりは二日から日常生活が始まる。初売りは二日からであるのもその理由である。二日以降の最初の行事には、初笑い・初釜・書初め・初仕事など「初」の字をつける。「1」の持つ呪術的意味の神的世界は、人間世界に踏み込んではいけない。そのために「1」の字を回避するために、別の漢字に置き換えるのが通例である。

初日、初詣、初売、最初、当歳、長男・長女、本膳、本丸、序幕、大立者など、「1」の字を使うべきところ、「1」を回避した言葉が日常使われている。先に述べたように、年賀状の日付を「1月1日」と書かずに、「元旦」と書くのも同じ意味からであることが分かる。長男で「一平」の名前とするところを、「逸平」と命名するのも、「1」を避けることからであろう。

正月の松飾りの一夜飾りは忌み嫌われる。

一声・一口呼びは禁忌である。妖怪は人に一声または一口で呼びかける。人が呼び掛ける時は必ず二声続けて呼ぶ。

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【17】まとめ

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【16】 悟りとしての「1」

ブッダの悟りとしての一回性についてである。 ブッダは35歳の時、インド東部のビハール州にあるブッダガヤの菩提樹のもとで禅定に入って悟りを開いた。仏典によれば、自分一人だけの唯一絶対の悟りを内面に秘めたままにしておくことを望んだ。梵天はブッタ一人の悟りに終わらせることが忍び難...

【15】 道としての「1」

道として「一」は、老子の「道徳経』に、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる。万物陰を負いて陽を抱き、沖気を以って和を為す」とある「道は一を生じ」の「一」である。 「一」は根源的意味の太極を意味する。陰陽未分の太極である一気から陰陽二気が生ずる。数の流...

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