前回において、火の神によってイザナミ命の〈陰=ほと〉を焼かれて亡くなり、夫のイザナギ命が黄泉の国を訪れた時に見た妻イザナミ命の体に取り付いた八つの雷の姿が八雷神(やくさのいかづちのかみ)であることを述べた。この八雷神が八ヶ岳の祭神の一つに加えられた理由は、天空から落ちてきた弓矢によって二つに裂かれたと想像されるV字形の巨石の姿が、大地の母なる神の〈陰=ほと〉に弓矢が当たったイメージと重なるためである。
落ちてくる弓矢は、落雷のイメージにつながって行く。雷は雨を降らせ、稲光を発します。ギザギザに蛇行する姿は、蛇を連想する。八雷神は死者を守る神である同時に蛇神ともされる。
八雷神は蛇神として、雨乞いの神(水神信仰)として信仰されて行く。三ッ頭の山名は、三頭の牛や馬の頭を雨乞いのために権現岳に供えた形に由来する。牛首の奉納は、牛を殺して漢神(からかみ=渡来の神)に供える雨乞いの儀礼である。清里から赤岳へ登る真鏡寺尾根の牛首山も雨乞いに由来する山名である。
猟師が白蛇を助けると、そのお礼で湧水が湧き出るという伝承が南麓一帯にある。小渕沢町の大滝神社湧水・大泉町の大泉勇水と八衛門湧水・高根町の東井出の湧水・長坂町の三分の一勇水に白蛇伝承が残されている。長坂町の「白井沢」の地名も、白蛇による鉄砲水・山崩れに由来するという(『甲斐国志』)。
八ヶ岳南麓は豊かな湧水に恵まれた地域で、この地域一帯は「逸見」と呼称されてきた。古代において逸見庄と言われ、波美臣(はみのおみ)の領地であったという。逸見は、蛇が転訛(てんか)した波美に由来するという(『甲斐国志』)。市河荘(市川三郷町)から、この南麓に居を構えた甲斐源氏の祖・清光は、この「逸見(波美)」の地名・家名を襲名して、「逸見清光」と名のる。古代逸見氏の名前に潜む神秘性と支配の正当性を継承するためである。武田信虎が甲斐国を統一するまで、逸見氏の一族は武田氏との抗争を繰り返す。それは、逸見氏が伝統的権威を強く固持し、甲斐源氏の祖・清光の嫡子である本流を自負する意識があったからであろう。
このように、八ヶ岳の祭神の八雷神の蛇神性は、歴史・文化・信仰に広く影響を及ぼし、八ヶ岳南麓地域にこだわりの精神的世界を作り上げてきた。
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